職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

よく分からない罪悪感

人の苦労話を聞くと、自分が同じような苦労をしていないことに後ろめたさを感じることがしばしばある。

前も書いていたけどね。
とにかく自分が申し訳ない気持ちになることについて - 職場のマーライオン

具体的に例を挙げると、Twitter等で育児にまつわり苦労されている方の呟きや、場合によってはコミックエッセイ調のイラストを見ると後ろめたさ・申し訳なさでやりきれなくなる。

「育児や介護をしない分死ぬほど働いて納税するから見逃しておくれ…」
と懇願(誰に向かって?)したくなったり、
或いは、
「徴兵逃れのために知り合いの医者に診断書書かせたり醤油を一気飲みする」
といった信憑性はさておき都市伝説的にしばしば聞くズルいと評されてきた人間に思えてくる。 

自分が勝手に誰かに対して申し訳ない気持ちを持ってもなんの解決にもならないのは分かってるんだけど、依然として申し訳なさがついて回る。

他の苦労話でそこまで追い込まれた感じを味わうことがないから自分でも不思議だと思う。

もっといえば私と同業の方々の苦労された話(かつ私が味わってこなかった類の話)を見聞きしても「大変だったんだなあ」と思うことはあっても、「同業なのにあなたと同じ苦労をしなくて申し訳なかった」と思ったりはしない。

自分がこれまで味わってきた苦労がゼロかというと、そんなことはなく、それなりの苦労があったと思っている。

仮にそういった苦労話を私がSNSやブログに書いたとして、それを読んだ人(かつ、その経験がない人)が「私苦労してなくて申し訳ない!」と落ち込むことは多分あまりないだろう。
さらに言えば、私自身も「そんなことで罪悪感持たなくていいよー!」と思うわけでして。

コンプレックスが拗れた結果なのかよくわからないけど、まだしばらくはよく分からない「申し訳なさ」と付き合っていくことになりそうだ。