そんな意図で書いたわけではない、という言い訳
たまたま見つけたツイートで(どなたかが「いいね」等されたものであり、私がフォローしているものではない)、
「『育児で大変なことはたくさんあるが、子どもがいなかったらどれほどつまらない人生だっただろう』といった内容に対して『子どもがいなくて悪かったな』的なリプライやDMがあり、そんなつもりで呟いたのではない」
といった内容のものがあった。
タイムライン上は、
「Twitterにはそうやって穿った見方、勘違い野郎がいるから気にしないで」
的なツイート(これもどなたかがいいね等されたと思われる)が並び、また、私も概ねそのように思う。
ご本人は、自身の経験を踏まえ、自身の生活について述べたに過ぎない。その呟きの主語は「私」じゃなくて「人は」や「女(または男てまも)」といった「大きな主語」だったわけではないからね。
とはいえ、上記の内容のツイートを冷静に捉えることが難しい状況の人は確実にいると思う。
もしかすると、呟きの読み手にとって辛いことを思い出したのでつい語気を荒い呟きをしてしまったのでは?とも思うのである。(具体的には子を亡くしたとか授からなかったとか)
もちろん、攻撃や誹謗中傷があって良いわけでないのは百も承知だし、DMはいくらなんでもダメだろう。
「冷静な」者から見れば、そっと閉じたり、エアリプ程度で(あるいはブログにでも書く?)済ませ、不用意にことを荒立てることはないと思うものだろう。
でも言わずにいられない状況だってあるのだろうと考える。それをまとめて「穿った見方」とするのは乱暴に思うし、厳しい言い方をすれば、不特定多数に発信する覚悟が足りないといえる。
Twitterで呟くことも、ブログで書くことも、なんならある程度範囲が絞り込める(とされている)Facebookでもインターネットに乗せる以上、どんな状況のどんな方が目にするかは分からず、思いもしない反応があることは覚悟しなければならないと思う。それは私も同様でして。
そんなことを考えたのは、かなり前にSNSかブログか何かに単独行で夏山登山した内容(「登山楽しかった!イェーイ!」的な気楽なもの)を載せたところ、「単独登山は危険すぎる。そんな危険なことをする方とは今後距離を置く」とかなり強い口調でコメントを頂戴したのを思い出したので。
その時は、
「そんなつもりはないのに」
「たかだか、個人のレジャーに対してこれほど語気を強くするなんてこの人どうにかしているのでは」
と思ったものである。
しかし、10年近く経過して今振り返れば、当然起こりうる反応だろうと考えている。そこを織り込んだ上で覚悟して書くか、それが嫌ならボカして表現してかわすかいっそ書かずにおくのが適当だろう。
※ちなみに今の私はヘタレで、何を書くにもかなりトーンを落とし、無難なことを書くことが多いが、その時のことが影響しているかなと思う。
さて、上記の
『育児で大変なことはたくさんあるが、子どもがいなかったらどれほどつまらない人生だっただろう』
を「育児」や「子ども」を「会社勤め」又は「激務」に置き換えたらどうだろうか。私自身がまさにそれに当たるわけだが、それだって不特定多数が目にする場では書きづらいと思う。
「激務じゃなかったら社会人失格なんですか」
「就職氷河期でそもそも仕事に就くのすら叶わなかった」
「激務で命を落とした人はどうなんですか」
等は十分想定される。
どんな背景や経験を持っている人が見るかなんて分からないから、当然に批判的な見方をされるものだと考えるべきだろう。
それを想定した上でも書くか、それが耐えられないならそもそもインターネットの不特定多数ではなく、例えば仕事場の人たちとの世間話等で止めるべき事項だと思う。
私の書くことでも仕事だろうと、なんなら趣味ごとであっても不特定多数を相手にする以上自分の思いに賛同する人ばかりではないことは常に念頭においておこうと思う。