職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

マラソンテスト

例の騒動による休校措置で、授業時間の確保等が問題になっている。

大人になるのは我ながら怖いもので、
「この騒動で修学旅行も遠足も部活の試合もできないんだから学校行事は全てキャンセルしてついでに部活も中止(又は週二回程度に縮小)してその分授業やれば良いじゃん」
と平気で考えてしまう。

こんなこと平気で言ったり考えたりってのは、我ながら恐ろしいし自分勝手なことだと思う。自分が生徒の立場だったら絶対嫌だし、下手すりゃ皆で署名をして直談判しそうだけど…子はいないが、世の中の親御さん方と同じ年齢になれば考えも変わるのである。
学校において、教科教育だけでなく各種行事や課外活動が単に「思い出をつくる」以上に意味がある活動なのは承知しているから、冷静に考えれば単純に行事削れば良いものではないのは理解できる。あ、でも過剰な部活動はやっぱり要らないわ、と思う。)

そんなことを考えながら思い出したのが私が中3のときの話。学校行事も部活もしっかりあったので今の情勢とは関係ないのだが、たまたま姉と世間話をしていて、今から思えばかなり厳しめの進路指導をしていたなと思い出した。以下が中3の時の進路関係がらみの取組み。

ひとつ断っておくと、私の通った中学は、

  • 地方都市の公立中学(学区選択制なんてものはもちろん今でも無い地域)
  • 市内ではレベル低め、区内では下から数えた方が早いレベル(当時の塾の先生情報)
  • ヤンキー率高め(私の少し上の世代だと「ああ、あの◯◯中ね…」という扱い)

なので教育熱心な地域とは程遠かった。

ラソンテスト

2〜3回実施された覚えがある。
それほど難しくない(というよりかなり簡単。中1〜中2の初めごろの難易度)数学の計算問題を100問解くというもの。時間制限はなし。
ただしルールが1つあり、1問でも間違えたら別のテストを渡されてやり直しで100点取るまで帰れない。これが意外にできなくてしんどかった。
6時間目から始めて100点で退出できたのは17時半近かったのではないだろうか。その時点でも教室にはかなり生徒が残ってたんだけど。

テストは毎月実施

定期テストが年5回に加え、実力テストと称して毎月実施だった。同じ中学に通う甥姪から今は定期テストしかやってないと聞いて椅子から転げ落ちた。

業者テストほぼ強制

愛知県では2〜3か月に1回程度「新統テスト」という中3向けの模擬試験が実施され、民間の業者テストなのになぜか学校通して受験申込み。ほぼ全員申し込んでいたはず…というか申し込まないと個別に事情聴取があったはずだ。

この試験、校外で休みの日に実施する一般の模擬試験の扱いのはずだけど、試験日は「制服着用」「指定カバンで行くこと」という決まりがあり、さらに結果は個々人に郵送されるだけでなく学校にも通知されるというもの。(三者面談で担任が試験結果持っていたので判明)今ならあり得ないだろうし、現に今では模擬試験の斡旋は一切行われてないとのこと。

私が卒業してしばらくした頃(2000年前後?)いわゆる「業者テスト問題」が明るみになったことでやめたんだろうな。

補習あり

夏休みの後半1週間は「希望者のみ」という建前で補修があった。

書き出してみると、進学指導に力入れている高校並みに厳しかったし、今なら割と許されないことも平気でやって(やらされて)いた。
とはいえ、私にとってこれらが良いか悪いかでジャッジするのは難しい。というのは、私自身がこうやって強制された環境だった「お陰」で頑張れたというのも事実だから。(代償も大きくて、補習等が全く無い高校に進学してからは成績ガタ落ちだったんだけど…。)

やる気があろうがなかろうが、もっと言えばその生徒の家庭の事情が何だろうが、少なくとも勉強の機会が与えられていたことは確実だからである。

「業者テスト」が無くなったことで、今は模擬試験を受けるのも生徒次第、もっと言うとその生徒の家庭次第になっているらしい。簡単に言えば、家庭での関心が低ければ模擬試験を受けろとも言わないし、下手をするとその受験料をケチることもあり得るだろう。要は「教育の格差」がここで出てくるわけである。

さて現在の話に戻ると、授業時間が確保できない分を塾等の学校外のサービスに「課金」できる層は良いとして、そうで無い層が問題となっている。そこで思い出したのが私の中学時代の話である。何らかの方法で「強制的」に勉強「させる」機会をしっかりと与えないとまずいのかな、とふわっと考えた次第である。
おそらく現場では様々な知恵を出して、例えばスタディサプリのようなものを活用とかされているだろう。何も私の時代のようなスパルタ的なものじゃなくて良いと思ってるが、要は学習機会はしっかり確保しなければと思ったわけである。