職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

いびがわマラソンオンライントレーニング

この度の新型コロナウイルス対策で多くのマラソン大会がオンライン開催になる中、いびがわマラソンは大会形式ではなく「オンライントレーニング」として、各自が走り込んでそれを共有する、という企画になった。
いびがわマラソン2020オンライントレーニング ~2021にむけて、みんなで走るよ!~|いびがわマラソン【公式】

参加料は2,000円でオリジナルTシャツがもらえる。
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色は写真の黒とパープル、表が無地でバックプリント。

期間は11月8日から21日まで。
できるだけこのTシャツで走ろうかなと思う。

洗い替えってわけじゃないけど、2016年、2017年の大会Tシャツもあるし。
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来年は本大会で走れると良いな。

絵本を買った、自分用で

最近、ヨシタケシンスケさんの本(エッセイ)を読んでいて、そこで紹介されていた絵本が気になったので本屋(の絵本コーナー!)で立ち読みして買った本がこちら。

このあと どうしちゃおう

このあと どうしちゃおう

最近出たこちらのも一緒に購入。

レジで、
「ご自宅用ですか?」
と尋ねられたのは、おそらく誰かへのプレゼント用かも?と店員さんが思ったからだろうな。もちろん「自宅用」である。

ヨシタケシンスケさんのイラストは、少し脱力したような雰囲気が良いなと思う。

さて今回買った本、私がここであらすじを書くよりは、実際に書店で手に取ってもらう方がよく分かると思う。
「このあと どうしちゃおう」は、死んでしまったおじいちゃんが、生前に「てんごくはこんなとこ」などさまざまに想像してノートに絵を交えて書き残していた、という設定。

今の私の立場で読むと「自分の親も死ぬ前に何か考えていたのかな」等、思いめぐらすことが多くある。(また、実際に作者のヨシタケシンスケ氏もご両親をすでに亡くされた経験を踏まえてこの絵本を書いた、といったコメントがあった)

「あつかったら ぬげばいい」
は、子どもよりも大人が「あー、そうだよね」と思うことが多い。

個人的に気に入ってるのは
「ふとっちゃったら なかまをさがせばよい」
だろうか(笑)

疲れた時に読み返す用に購入。

11月最初のお稽古は薄茶平点前で

お茶の世界では風炉から炉に変わる11月を、
「茶人の正月」
という…らしい。

風炉から炉に切り替えて、なおかつそこで今年とれたお茶を使用する、ということから気持ちを新たに、という意味合いで「正月」とするらしい。

実際に「口切の茶事」として一つの節目の行事として扱われているようだ。

稽古場では茶事こそ行わないが、11月最初は皆が基本に戻るということで薄茶平点前のお稽古。お菓子は「亥の子餅」とおぜんざい。

おぜんざいなのは、お祝い事だからということで毎年先生が用意してくださるもの。
亥の子餅は「亥」が水を表す(陰陽五行の考えから)ことから火の用心の意味でいただくから、これも毎年恒例。

このシーズン?もしっかり稽古に励もうと思ったのでした。

ツッパリの30代

ジェーン・スーさんのエッセイで、
「30代は体力ある上に、20代の頃より経済力や社会人としての経験値がついて、その上適度に向こう見ずだからパワーがある」
といったことが書かれた一文を読んだことがあり(注 原文はこのままではない。というか覚えている範囲で失礼)、それを読んだのがちょうど40歳になったかならなかったくらいの頃で、
「あーわかるわかる!」
と首がもげるくらいに(心の中で)頷いていた。

自身を振り返ると、20代の頃、特に後半は仕事がダメダメ、プライベートもパッとせずだったのが、いろいろ諸々あって30歳で環境が変わり、そこでなんとか慣れてきた。

また、体力に関しては山登りやランニングを始めたことで20代より遥かに向上。

どこかで書いた気もするが、21時過ぎまで仕事、その後23時過ぎまで飲み会からの帰宅してからランニングして翌朝5時起きでランニングといった「どうにかしてるんじゃないの?」的な生活をしていた。

さて、そんな頃は自分の考えも相当尖っていたと思うし、このブログの前に開設していた別のブログやSNSでは随分と生意気なことを書いていたような記憶がある。(読み返す気もないし、読み返したら顔から火が出るし、それ以前に以前のブログは殆どの記事を削除・整理したはず)とにかくいろいろなことに腹を立て、それに対して「私こそが正しい、私の生き方が正しい」くらいの勢いでものを考えていたのは確かである。

「30代の頃の体力があれば40代で天下取れるよね」
といったくだりを、やはりジェーン・スーさんのエッセイで見た気がするが(これも出典は後で探します、スミマセン)、当然ながら40代になると確実に体力が低下するケースが多く、そうはいかないといったことが書かれていた。

ありきたりの考え方だろうが、自分の体力が衰えた(とはいえ私の場合は運動不足だった20代の頃よりはよほどマシだが)ことを自覚すると、他人に対してもある程度寛容になれる、或いは言葉を悪くすれば鈍感でいられるようになった気はする。

多分30代の頃の自分なら、
「こんな働き方(或いは言動、行動、考え方など当てはまるワードはいろいろ)してる人なんて信じられない、今まで何してたの?」
くらいに一人で「キーっ!」となっていたのが、
「まあいろんな人がいるし、その人も今までいろいろあったんでしょうよ」くらいに流せるようになってきたように思う。

もちろん何に対してもこういった「なあなあ」でやり過ごすのではなく、むしろ怒るべき時にきちんと怒って行動するために無駄打ちしないようになったのかな、と良いように考えることにする。ま、都合のいい話なんだけどね。

今までよくわからないまま過ぎていた選挙

先週金曜日のモーニングサテライトで、パックンことパトリック・ハーラン氏がアメリカの選挙人制度について分かりやすく解説するというコーナーがあった。

大浜キャスターが
「4年ごと、大統領選のたびに選挙人制度のことを勉強しても結局また4年経つと勉強し直しなんですよ」
と言っていたが、そういや私はここに至るまで選挙人制度という言葉は知ってても全く分かってなかった。

所詮、他の国の選挙制度だし、それなら日本の選挙制度知っとけよという話ではあるものの、年を追うごとにこういった話題が割と仕事に結びつくようになっている以上は知っておいた方が良いと思うわけでして。

物心ついてからアメリカ大統領選挙は10回はあったと思うが(はじめに記憶があるのが1988年の選挙戦。レーガン大統領が2期務めた後の選挙で、共和党のブッシュ(父)が当選した回)、ここに至るまで選挙人制度ってのがあるらしい、くらいの知識しかなかった。

この歳になって知ることが多い…てかこれまで物知らずできたんだなあと反省。

困った時の「お題」頼み

今週のお題「急に寒いやん」

ネタに窮した時恒例の「『お題』頼み」。

開けたら上記のとおり「寒い」がテーマ。

そんなわけで11月に入って最初の出勤だった今週月曜に、
「寒いし今日からタイツ履こうかしらねぇ」
とクローゼットから引っ張り出して着用のち出勤。

翌日は祝日でカレンダー通りにグダグダとネット見ながら過ごしていたら、例の「タイツ屋」の炎上案件。

私が持っているタイツは、セブンイレブンで売っているもので、製造元はどこかと確認したら案の定件のメーカーだったというオチ。

とはいえ、これまで購入したものに罪はない(と独自に判断して)から、引き続き使うけどね。

アパレルメーカーの事情は全く詳しくないが、例えばこれがインフラ系や金融系などの「お堅い」企業であれば、まず考えられないよなあと思う。

その理由はいくつかあるだろうけど、「常日頃からの『世間の目』に晒されている意識」は大きなストッパーになっているんだろうとふと考えた。あと「監督官庁の目』とか。

だから良いとか悪いとかって話ではなく、他者の目を意識するのは必要だよなあと改めて考えたのでした。

やたら物分かりのよい子になりそうな本

ある本屋で、なんと
「こども実用書フェア」
と銘打ってこんな感じの本が並んでいた。

本そのものが良いとか悪いとかっていうのではないのですよ、どうかそこんとこご理解を(←誰かに対する言い訳)

正直なところ
「気持ちわりー」
という気持ちだった。

思えば、私自身が子どもの頃にもこの手の
「マナーを身につけましょう」
的な本はあった…と思う。
(私自身が好んで読まなかっただけで、小学校の図書室にはあったようなおぼろげな記憶が)

「だからお前は子どもがいないからそんなことが言えるんだ」
とこれも私の脳内「エア世間の声」が聞こえてきそうだけど、親としては子どもに読ませたい本なのかなあと子育て界の外野から見て勝手に思ってる。

そもそも、子どもに「実用書」ってのがその時点でうすら寒いのを覚える。
まさかこの手の本だけ読ませる・読むなんてことはないんだろうけど、実用書なんてアラサー過ぎて堅い本読む気力がない時にファストフード的に読むもんだと思ってる(すごい偏見)。

そんな私が子供の頃読んでた本は、

ズッコケシリーズや、
少年探偵団 (講談社青い鳥文庫)

少年探偵団 (講談社青い鳥文庫)

江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ、あとルパンシリーズ(「三世」じゃなくて、本家の方。子ども向けにリライトしたものだったはず)など。これが小4あたりから星新一ショートショートに手を出していた(6学年上の姉の影響)。

真面目系の本だと、いわゆる偉人の伝記ものなど。ありがたいのは親が「これを読め」と強制しなかったことで、親と本屋に行って本を買ってもらう時でも「こんなのダメ」や「マンガはダメ」と言われた覚えがない。
むしろあまりにもマンガを読まず、小学校高学年頃に「マンガ読んだらバカになる」とか言ってたらしく心配してマンガを読ませようとしていた。
私自身の思い出も、ともすれば「子どもはこういう本を読むべき」となりかねないし、結局のところ本人が読みたければ何を読んでもいいし、きっかけづくりとして親が「こども実用書」を与えるのは良いとは思うが、安易なとこに流れやしないかということが気にかかるのでした。