職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

ツッパリの30代

ジェーン・スーさんのエッセイで、
「30代は体力ある上に、20代の頃より経済力や社会人としての経験値がついて、その上適度に向こう見ずだからパワーがある」
といったことが書かれた一文を読んだことがあり(注 原文はこのままではない。というか覚えている範囲で失礼)、それを読んだのがちょうど40歳になったかならなかったくらいの頃で、
「あーわかるわかる!」
と首がもげるくらいに(心の中で)頷いていた。

自身を振り返ると、20代の頃、特に後半は仕事がダメダメ、プライベートもパッとせずだったのが、いろいろ諸々あって30歳で環境が変わり、そこでなんとか慣れてきた。

また、体力に関しては山登りやランニングを始めたことで20代より遥かに向上。

どこかで書いた気もするが、21時過ぎまで仕事、その後23時過ぎまで飲み会からの帰宅してからランニングして翌朝5時起きでランニングといった「どうにかしてるんじゃないの?」的な生活をしていた。

さて、そんな頃は自分の考えも相当尖っていたと思うし、このブログの前に開設していた別のブログやSNSでは随分と生意気なことを書いていたような記憶がある。(読み返す気もないし、読み返したら顔から火が出るし、それ以前に以前のブログは殆どの記事を削除・整理したはず)とにかくいろいろなことに腹を立て、それに対して「私こそが正しい、私の生き方が正しい」くらいの勢いでものを考えていたのは確かである。

「30代の頃の体力があれば40代で天下取れるよね」
といったくだりを、やはりジェーン・スーさんのエッセイで見た気がするが(これも出典は後で探します、スミマセン)、当然ながら40代になると確実に体力が低下するケースが多く、そうはいかないといったことが書かれていた。

ありきたりの考え方だろうが、自分の体力が衰えた(とはいえ私の場合は運動不足だった20代の頃よりはよほどマシだが)ことを自覚すると、他人に対してもある程度寛容になれる、或いは言葉を悪くすれば鈍感でいられるようになった気はする。

多分30代の頃の自分なら、
「こんな働き方(或いは言動、行動、考え方など当てはまるワードはいろいろ)してる人なんて信じられない、今まで何してたの?」
くらいに一人で「キーっ!」となっていたのが、
「まあいろんな人がいるし、その人も今までいろいろあったんでしょうよ」くらいに流せるようになってきたように思う。

もちろん何に対してもこういった「なあなあ」でやり過ごすのではなく、むしろ怒るべき時にきちんと怒って行動するために無駄打ちしないようになったのかな、と良いように考えることにする。ま、都合のいい話なんだけどね。