こんな記事があった。
体操服の下の肌着など 長崎県内の37小学校で着用禁止 | 教育 | NHKニュース
またこの件について「内申に影響が…」「モンスターペアレントと言われるのでは…」といった危惧から物申せないといった保護者の意見を紹介している記事もあった。
それらを一読した時、
「このくらいのこといちいちビクビクせず、学校にビシッと言えばいいのに」
「学校での指導ったって、自分の子の命や健康に関わることについて指摘できないのは、『自分で考えて行動する』という姿勢が親側に身についていないのでは?親自身がこれまで若い頃から今に至るまで自身で考えて行動する機会がなかったんじゃないか?」
と考えた。
しかし、その後時間をおくと私自身が恵まれた環境にいたとか、もっというと「強者」の立場にあるから(いってみれば無責任ともいえる上記のことを)言えるんだろうと考え直し、反省した。
考えてみれば、私自身も中学生の頃は訳の分からない合理性のかけらもない校則や先輩からの「しきたり」に屈していた。
それを「嫌な校則や理不尽なルールは声を上げれば良い」と側から言われても「いやこの世界で生きづらくなると困るし、高校受験に響くし」と言い返し、そのままそのようなルールに従っていただろう。つまり圧倒的にその狭い世界では立場が弱いからである。
高校進学により、比較的(かなり?)自由な校風の学校に入ったこともあり、「校則とかルールってものは疑問を抱いたら声を上げていかないといけないものだ」といったことを割と自然に身につけられたと思う。
仕事についても同様。
極端にブラックな会社・職場にいたことはなく(今から振り返ると「ややブラック」なとこは確かにあったが、そんなのも時代とともに無くなった)、ある程度声を上げることができる環境、立場にいるのだと思う。
しかし皆がそういう学校に入ったり、環境に身を置ける訳ではないわけで。
さまざまな問題に対して
「私はそんなことなかったもんね」
と「無かったことにする」、そしてスルーというのは私自身やってしまいがちだが、それではまずいと今更になって反省している。
じゃあ私ができる範囲で何をするか、幸か不幸か今現在自分に子がある訳ではないので、直接学校等に物申す機会はないが、まずは身近な(家族や職場や)ところでこういった話題に触れて意見を表明していくことからじゃないかなあとぼんやり考えた。