職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

命日

母が亡くなって5年になる。

過去の記事を読み返すと、父については亡くなってわりあい早い時期に記事にしていたようだが、母のことはあまり言及していなかったようだ。
この一年まとめ - 職場のマーライオン

父の場合、基礎疾患ありで何度か死にかけた(比喩的ではなくガチで。倒れて救急搬送中に心肺停止したことがある→そこから生還して割と普通に4年生きたから大したものだと思うが。)こともあり、ある程度覚悟はできていた。だからこそ記事にもできたのだろう。

一方で、母は突然倒れてそのまま帰らぬ人になってしまったので、今から振り返ると私もきょうだいもそこから2〜3年くらいは気持ちの整理がついていなかったのだろうと思う。
もちろん、それぞれ生活があるので忌引が終われば普通に仕事に行ったり相続の手続などはたんたんと行っていたのだが。

母が亡くなったことは職場の人やお茶の稽古場の人以外には話すこともなく、例えば友達などに会っても「気を遣わせては悪い」と考えてこちらから話すことはほぼ皆無だった。

また、職場の人についても当時はプライベートなことを気軽に話せるような間柄の同僚等がおらず、その点でもかなりストレスが溜まっていたのだと思う。

その時はそんなものだと思っていたが、喪中の挨拶状を出す時期になり、挨拶状を受け取った相手から幸いに声をかけてくれる人(直接ではなく手紙だったりメールだったり)がいて、その直後に気持ちが軽くなった。話せないことが思いの外しんどかったのだろうと思う。

そうは言っても、話した相手に気を遣わせるのが何となく嫌で、その後も自分から話すことは少なかった。なによりも、死んだその日のことを思い出すのが流石にまだしんどかったというのもある。

ここ2〜3年ほどで生活にも仕事にも変化があり、その行きがかり上どうしても母のこと(と父のこと)を話す必要が多くなり、それにつれて少しずつ冷静に捉えることができるようになったのではと思う。

ようやく最近になってこういった記事なりSNSに母の話題を出せるようになった。つまり自分として一定の区切りがつけられたということだろう。

やはり身内の死は数年単位で引きずるようだ。