職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

震災後、東京でもしんどさを感じた件

今日があの大震災からちょうど10年となる日である。

当日やその次の日のことなどは前回・前々回に書いた通りだが、思い返すと週が明けて出勤してから、つまりいつも通りの日がスタートしてからの方がじわじわとしんどかった、というのを今でも覚えている。

当日のこと10年前のことを少しずつ思い出す - 職場のマーライオン
震災直後の土日のこと10年前の大震災の翌日土曜と日曜のこと - 職場のマーライオン

東北の被災地と異なり、東京ではライフラインが寸断された訳ではなく、また、私の場合は身近な人が被害を受けたりもなかったから「被災者」ではない。

しかし、それでもしんどさを感じたのは、毎日・どの時間にも流れる地震の被害状況を見聞きしたことや、被災地とは比べ物にならないものの計画停電やスーパーやコンビニから食料品が無くなったことなどによる「ただ事ではない」感から徐々にダメージを受けたのだろう。

震災直前までのいつも通りの生活(しかも当日は金曜日の午後だから気持ち的に「よっしゃ週末だ!」とウキウキしていた)とのギャップがあまりにも大きかったこともあったのだと思う。

ダイレクトな意味での被災地ではないはずの東京にいてすらこのように感じたのだから、現地で甚大な被害に遭ったり、身近な方を亡くしたりといった方々のショックは計り知れないと改めて思う。

また、当たり前のことだと分かっているけど、震災の被災地やその影響を受けている地域(首都圏がそれに相当すると思う)以外は普通の生活があるというギャップも私にとってはしんどかった。

当時、私の職場は社内コールセンター的な部署で、全国の事業場からの照会業務を受ける仕事をしていた。

仕事の相手先はこの度の震災被害に逢った地域もあれば、その半面ほぼ関係ない地域(西日本)もあった。 

対応内容が震災という非常対応を要するものと通常業務の流れで対応するものとが混在していたため、自分自身が混乱していたということである。

実際にその時の日記を読み返すと、震災後1ヶ月近く「頭が混乱して疲れた」といったことを書いている。

また、次の月に名古屋の友人の結婚式・披露宴に参加したが、その時の日記を読み返しても
「名古屋では震災のことは他人事なんだろうなと思った」
といったことを書いている。
当時自分が住んでいた首都圏は、被災地ではないものの名古屋や大阪といった震災の影響を受けていない地域とも違う、どっちつかずの地域ということに対する戸惑いがあったようだ。

つまり、「被災地に対してできることを頑張らないといけない」と分かっているが、自分が地震の影響を全く受けていない訳でもないから「しんどいな」と感じていたということである。

今になって振り返ると、自分なりに気を張っていたことから来る疲労なんだろうし、賛否はあろうが首都圏もあの震災の「被災地」といって良いのだと考える。(実際、災害救助法適用地域だった訳だし)

だから私地震については、「無理しすぎない・意識的にセーブする」が適切な対応だったのだろう。しかし、渦中にいるとそこは分からないものだとつくづく思う、