職場のマーライオン

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伯母さんのこと

先日亡くなった伯母、昭和10年生まれで尚且つ早生まれ(3月)なので、終戦当時が国民学校の5年生。昭和9年度生まれということは、入学時から卒業時まで「国民学校」の生徒だったはず、ということに今さら気づいた。
身内の不幸 - 職場のマーライオン

一 国民学校令の公布:文部科学省
ちなみにこの文科省の「学制百年史」、個人的にこういう話題好きなので読み出したら止まらない。

この伯母、学童疎開をしていたことがあるらしい。確かに年齢的・時代的にちょうどそんな世代であるが、さらに加えて、疎開先から友達数人と連れ立って名古屋に逃げてきたというエピソードもある。

それを聞いたときは随分無茶をするなあと思ったが、長じて向田邦子の「字のないはがき」や橋田寿賀子の朝ドラ「おしん」で描かれた当時の学童疎開の様子を知ると、やはり大変だったのだろうかとも思う。
しかし他のおじおばの話を総合すると、伯母さんは食べ物はじめ待遇についてそんなに酷い目には遭ってなかったとのこと。少し安心。

先の戦争のことをはっきり覚えている世代は、この伯母が限界かな、とも思う。伯母のすぐ下の弟(私にとっての伯父)は数年前に亡くなり、もう一つ下の妹(これも私の伯母)だと物心ついたくらいがようやく戦争末期というところだから、戦中真っ只中の話となると難しい。
どこかでそんな話を聞いておきたいなと思っていたものの、なかなか会う機会がないままになってしまったことが残念である。