職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

羨ましいわけではなかった

ある時親しい友人から
「皆は、あなたのことを羨ましいと思ってるんじゃないかしら」
といったことを言われたことがある。
(実際の口調は随分異なるが)

もう少し経緯を補足すると、私が高校時代の同級生と会った際、彼女らのマウンティング的な会話が嫌になったといったことをその友人にこぼしていたというわけ。

ちなみに友人は私の後輩でもあり、私の同期のことはまあまあよく知ってる、という状況。多分6〜7年前かもう少し前のお話。

それに対して、私は彼女が何を言ってるのか分からなかったのだが、彼女が説明するには
「あなたは何だかんだ言いつつノビノビ仕事して、その収入を好きなことに使って毎日を楽しんでる。それが彼女らにはないじゃない?」
とのこと。

そんなもんかねえ、少なくとも私はその「知人」たちから「こいつ変わり者」と思われることはあっても、羨ましがられてるなんて微塵も思えなかった。

むしろ彼女らのように「人並み」にこの地方では手堅いとして合コン相手先ベスト5には入るような会社の従業員と結婚して式だの披露宴だの挙げて、数年したら子どもができて家を購入して年賀状には「そろそろ良いお話はないのかしら?」的な余計なコメントをよこしてくる彼女らを、「私はそうはなれない」と思いつつ、でもそういう生き方の方が多くの人からの祝福を得られるという事実は突きつけられてモヤモヤとしていた。少なくとも私の生き様は楽しいかもしれないけど、多くの人の賛同を得られないよなあと思ってたわけで。

そんなことから数年、東京暮らしから名古屋に出戻り、母が倒れ父も倒れ相次いでこの世の人ではなくなり、自分の仕事も東京の頃とは違う大変さでバタバタしてるうちに、他人のことなんて羨ましいとか思う余裕はなくなり、自分のことも結婚よりも先に親の葬儀を2年連続で出して無駄に「一人前」となってしまったのでした。だから自分の生き様なんて賛同を得られようが得られまいがどうでも良くなり、元気で生きてさえいれば何でも良い、くらいに思い切れるようになった、と思う。

それで思い出したのが先の友人の一言。
今になって彼女の言ってたことが分かる。そりゃ羨ましいだろうな、40歳になった私の今の生活も悪くないけど、30代前半〜半ばの自分の生活が輝いていたのは事実。自分でも羨ましいし、その時期を生きてきたことを自信もって良いのかなとようやく考えられるようになった。

同時に、私が「マウンティングされてる!」と気に病んでたことってのが

  • 人並みに結婚式・披露宴を挙げる
  • 婚約指輪だの結婚指輪だのをつけて見せびらかす
  • 「報告があるの」とか言って飲み会で結婚報告する

などなど。これらのイベントを挙行することを「羨ましい」と自分に思い込ませていたのかな、とようやく気付いた。
というのは、上記3点を全てすっ飛ばして結婚したのだが、別に後悔も何もしてない。数年後何があるか分からないから、この決定が絶対的に良いとか言うつもりはないけど、毎日を感謝して元気に生きていければそれで良いと思うくらいには歳をとった。