ほぼツイッター断ちから1か月半
少し前の記事にも書いているとおり、7月半ばからツイッターを見ないようにしているわけですが、言ってみれば「ゆるいツイッター断ち」をやっている状態です。取り組んだ(大げさな)こととしては、
この2点です。
当初は、スマホのアプリは残し、ログオフ・ログオンを都度行うようにしていたのですが、それでも時間があると見ようとしてしまい、見た結果として精神的にざわつくことになったので思い切ってアプリから消しました。
それでもたまに気になる話題があればWEB経由でツイッターもフェイスブックも見ますが、「用事が終われば(=気になる話題が確認できれば)」すぐにログオフするようになりました。テレビと一緒ですね。
いっそのことIDごと削除(=退会)も考えますが、フェイスブックの場合はリアル知人の消息を知るツールでもありますし、ツイッターも自分がほしい情報(緊急性のあるものはツイッターのほうが早いし、趣味ごとの情報も捨てがたい)を得るには便利な手段であることには変わりないので、IDは保持して「見たい時だけ見る」というスタンスでしばらくやろうと思います。
まだ1か月半ですが変化があったこととしては、
- 寝る前にスマホを触ることがなくなった
- そもそも家でスマホを触ることが少なくなった
- 行きの電車で新聞を、帰りの電車で本を読むようになった
- 久しぶりに本屋で小説を買った(いつもは実用書やゆるいビジネス書)
- ブログの更新回数が増えた
- 気持ちがざわつくことが減った
思いつくままに挙げてみるとこんな感じ。
特に6については、昨日ちょっとイラッとすることがあったのですが、これが以前だとツイッターに(実名や詳しい内容は伏せるにせよ)つぶやいていたなあ、とフッと気づきました。イラッとすることがあっても他の作業でいつしかまぎれて忘れる、ということが自然とできるようになってきたことは大きなメリットだと思います。
芝生回復中…?
7月の半ば、梅雨明けすぐくらいの頃の昼日中に芝刈り、そして水撒きを怠り、加えてそれからずっと猛暑日が続いたことから芝生が枯れました…(涙)
いろいろ振り返ると、それ以外にも軸刈り(芝生が伸びすぎた状態で短く刈ると、成長点より短いところで切ることになり育たなくなる)もあったと思われる。
本来、高麗芝は暑さに強い…はずだけど、ゴーヤーすら育たない暑さ(同僚談)のため芝生もやられました。
初めは虫害だろうか…?とずいぶん悩みましたが、根はダメになってない様子だったので、水撒きだけはしっかりやって、枯れてるのがほとんどとはいえ少しは緑があるから刈り込んだりしながら8月も末になったとこで持ち直してきました。
お盆あたりで一旦涼しくなったのと、雨が降ったのがよかったみたい。
また、比較的枯れたのが少ないとこはほとんど良くなりました。
やはり刈ったら水撒き、できればそこで肥料を撒くのが良いようです。
『ぼくたちは習慣で、できている』を読んだ
新幹線で移動途中にキオスクで何気なく買った本。ミニマリストとして知られている佐々木典士さんの著。
- 作者: 佐々木典士
- 出版社/メーカー: ワニブックス
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一言でいえば「良い習慣を続けるor悪い習慣をやめるには?」方法について様々なケースを挙げながら書かれてる。
数年前にベストセラーになった、『スタンフォードの自分を変える教室』
- 作者: ケリー・マクゴニガル
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2013/04/26
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もちろん、これを読んでそのままできる…と考えるのは浅薄だし、この本にもしっかりと「失敗することが必要」と明記してあるのですがまずは何か始めよう(それは「明日」じゃなくて今から)と思える本でした。
10周年とかいろいろ
午前はお盆の法要、午後は茶道の稽古で夜は近くのうどん屋さんで外食という地味な一日でしたが、そういや今日という日は10年前に東京に着任した日なのでした。
私の誕生日は8月1日で、それより少し前の7月上旬に東京異動のお話をいただき、いろいろもろもろあってそれを受けることになりました。今から思えば30歳の誕生日プレゼントが東京転勤だったんだなと思いますが、当時は「厄介払いされた」「言ってみれば現代の口減らしだよな」とか散々に自嘲してました。
2008年の8月1日が30歳の誕生日、8月8日に内命をいただき15日の17時に当時の上司から辞令をいただき、その日が金曜日だったからそそくさと帰り、しかも特に大げさな挨拶もなく(ドライな職場だったなあ・・・)、その翌日土曜日に半泣きになりながら引っ越しの荷物を送り出して自分もその夜の新幹線で東京に向かった・・・なんてことを思い出しました。
たしかその夜は東日本橋のビジネスホテルに一泊。東京駅から乗ったタクシーは、名古屋であれば間違いなく苦情を言われるくらいに愛想のない(でもその後それが東京のスタンダードだと知る)何も話さない運転手で不安になったのを思い出します。
お盆で引っ越し便が多いから荷物が到着するのは1週間後、という状況でした。翌朝、当座使いそうなものは全て持って行くために80リットルの登山用リュックにカーテンや仕事で使う洋服、下着類を詰め込んで背負い、単身社宅までトボトボ坂道を歩いていきました。
日曜日にひとまず社宅に入って、荷物が届くまでに必要なものを揃えたり、翌日出社する際に職場に持っていく菓子など買いに銀座まで出かけました。
確か、「名古屋から来た人間なんだから、お菓子と言えば『坂角のゆかり』だよね」と松坂屋に行き、自転車がないと不便だよなあと有楽町の無印良品でケッタを買い求め、ゲリラ豪雨の中帰ったことも昨日のように思い出しました。
その次の日が8月18日、私と同じように地方から呼ばれた人たちが約20人着任しました。それから6年半、何とか助けられながら乗り切ってその後名古屋に戻り、奇しくもこの4月からは10年前に上京する直前にいた部署に舞い戻りました。
この10年間、公私ともどもいろいろありまして、明らかに辛い・悲しいこともあったけどそれでも今日この日は幸せだと思うことができるから、やはり感謝しかないよなあ、という、まあありきたりの感想です。
次の10年、どうなっているか、それは神様しかわからないのでしょうね。