職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

10年前のことを少しずつ思い出す

10年前の3月11日は東日本大震災が発生し、今年が節目の年になる。

NHKでは10年の節目として様々な特集やドラマが放送されていて、それを見ていると当時のことを少しずつ思い出して書こうかなという気になってきた。

10年前は東京にいた、しかも電話中

10年前には名古屋ではなく東京で仕事をしていて、その東京もかなり揺れた(震度5)。
しかも職場はそこそこ高いビルの10階ということで、さらに揺れが大きく怖い思いをした。

確かその時、仕事の相手先と電話でやり取りしていたが、先方は広島だったので地震もへったくれもなく、こちらの方から「地震の揺れが半端ないから一旦切りますね!」と電話を終わらせたのはやたら鮮明に覚えている。

まさか東北が震源とは思わず、とっさに思ったのは「東海大地震だ!」というのと、東京でこれだけ揺れればもう名古屋は大変なことになってるな、ということだった。

もちろん名古屋は多少揺れたとはいえ無事だった。幸い、夕方くらいに実家や名古屋にいる仕事関係の先輩と連絡が取れ、むしろこちらの方の心配をしてくれた。

東北が大変になってるなんて思いもしなかった

東京で揺れが収まった後、

  • 震源は東北らしい
  • 東京はじめ周辺の県では停電とか火事とか大変らしい
  • 交通機関は全部ストップ

といった情報は入ってきて、自分たちの業務に関する確認や、一旦のキリをつけて管理職や関連の対応者以外は19時くらいに帰るよう指示が出た。

震源が東北で海の方、という情報があっても、まだ津波でああまで大変なことになってるとは思いもせず(というより、酷すぎて情報が入らない)、むしろ東京の交通遮断やあちこちで起こったという火災の方が大変だ、と考えていたような記憶がある。

徒歩で帰宅、その後カレーを食べに行った

幸い、職場から家まで歩いても1時間程度だったので、同じ単身社宅の人や埼玉に自宅があるものの交通遮断で帰宅できなくなった人(社宅に住んでる別の友人に泊めてもらうことになった)と歩いて帰宅。

正直なところ、「なんか大変なことになったよね」「阪神大震災の時は本当怖かったけどね(大阪出身の人がいたので)」と喋りながら帰れる程度に深刻に捉えていなかった。

一緒に帰ったメンバーで「ま、これから何か作る気にもならないから外で食事しよっかー」と社宅の最寄駅近くにあるインドカレーの店に入った。

他の店はどうだったか覚えていないが、少なくともそのインドカレーの店は普通に営業していて、私たちの他にも客が(おそらく帰宅難民になったであろう)何組かいた。

メンバーの中に東北出身の人がいなかった(私が名古屋出身、他は大阪など西日本方面出身)ということが大きかったのだろうが「どうなるだろうね」くらいの話をしていた。

帰宅してからテレビをつけたものの、東北の被害状況の詳細はまだ入っておらず、「津波で大変なことになってるらしい」程度の情報を確認するのみで、地震発生の金曜日は終わった。