ご祝儀は名誉の証しだと思う
何かの飲み会で若い人(30代前半女性)と話をしていた際、私自身が結婚式・披露宴等をしなかった話題になった際、彼女が
「えー。でもそれじゃ今まで払ったご祝儀回収できないじゃないですかー」
と言ったのを聞いて、「ああ若い発想だなあ」と思った。
彼女の発言が不謹慎とか非常識とかは全く思わないし、実は私も若い頃はそんなことを考えていた。「これ不良債権になるんじゃ」みたいな感じで。
それは、20代後半から30代半ばにかけて私が感じていた(或いは感じさせられていた)「結婚できなきゃ負け確定」みたいな焦りや、無条件に祝ってもらえる人に対する妬みとか、あとは経済的に今よりはしんどかったことなどグルグルあったのだなあと思う。
そんな記憶があるからこそ、もしかすると前述の発言の彼女も今しんどい思いをどこかに持ってるかもしれないなあ、でもそんなこと思う必要はないしそう思わされているのは「呪い」なんだよと伝えたいなあという気になった。
さて、ある時期から私にとってご祝儀は、
「お祝いさせていただく権利に加え、美味しい料理にお土産(引出物)、宴会のさまざな演出を楽しませてもらうプラチナチケット」
と考えるようになった。主催者がかけた費用を考えると、これじゃペイしないのでは?と思うこともある。
そうなったのは私の人格が変わったのではなくて、大きく2つ理由がある。
- 経済的に余裕ができた
- 「冠婚葬祭」の「葬」絡みのネタが増えてきて喜ばしい行事が貴重になってきた
2番は、特に自分の身内で立て続けにいろいろあった結果、周りの人が何事もなく幸せでいてくれる方が結局自分も気が楽と思うようになった。
最近になり歳をとって良かったと思うことがたくさんあるが、この辺りは本当に今ラクになったなあと自分のことながらつくづく思うことである。