職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

シンキングタイムとしてのブログ下書き

Twitterを眺める時間は増えたし、気になる呟きは「いいね」やRTをする。しかし、自分が呟くのはなるべくしないようにしている。

先般、上のツイートについては1つだけ呟いてみた。内容は、こういった発言しそうな知人がいたのを思い出して、そういや疎遠にしたなあ(疎遠に「なった」ではないのが闇)といった内容。
私の場合、知人が既婚者かつ子持ちで、当時独身だった私に「マラソンなんてやる感じじゃないよねー」とか「いつまでも自分磨きじゃないよー」と年賀状に書いてこられた、といった内容。呪いとは違うがイラつくポイントドストライクだった。

でも放っておくと次々に呟きそうになったから、思ったことはブログの下書きに落とした。


人によるのだろうが、これまで私の場合は気になるツイートをみると
「いやいや、私はそんなことないもんね」
「え、それ違くね?」
ぐらいの気持ちで呟いてしまっていた。
後から思うと
「だから何?」
くらいの内容で全くもって無駄に思う。場合によっては軽率に呟くのではなかったと後悔することもあった。


思いついたことをブログの下書きに落としていくと、少しずつ考えの整理ができる気がする。
「衝動的にはこんなこと呟こうとしていたけど、実はその先のこういうことを言いたかったのかな」
という感じで。


上記のツイートだと、当初
「この方は結果的に『子煩悩になったし、私でもできた』だったから良いけどそうじゃなかったらどうしたんだろう」
「なんだかんだで『私でもできた』的な自慢をしたかったのか?結局マウント取ってね?」
「暗に独身者disってね?独身者もいろいろ言われたものでな…」
とか反論したい気持ちがグルグルしてた。
多分私の場合は、ふるえるとりさんの「オタ友」的な立場、つでいる期間の方が圧倒的に長い(ていうか今でも割とそうだ)からだろうな。
自己弁護するわけではないがだからといってこの手の「呪いの言葉」はかけてない…はず。


次の段階で、
「そういや私もさっきの知人以外にも似たようなこと言われたことあるわ…その件は結局気にもしなかったけど」
という過去の経験を思い出し、ちょっと冷却…。
東京転勤の内命受けてから、元上司に「お前さんは半年もたずに潰れる」と言われた。結局6年半いることになったけどね。でも私の「潰れずに6年半いた」というのも一種の生存バイアスだし、「私だってできるもん」的な不遜さはあるんだよなーと思う。そもそも6年半大過なく過ごせたのは本当にラッキーだったと思ってるし。


結局、
「自分自身でも『これ苦手でできないかもしれない。できなかったらどうしよう!』と薄々思ってる(或いは思い込んでいる)ことを他人に言われると落ち込んだり腹立つ。」
ということかなと思う。
あと、子育て分野や結婚分野でこういう「呪いの言葉」って破壊力あるんだろうな、とも。

苦手は苦手でも
「これ苦手だけど、できなくても困らないし死なないし」(私にとってはスポーツ全般)
「苦手でも苦手なりになんとかするしかないしー」(私にとっては仕事など)
くらいの開き直りができる分野なら当人にとってグジグジ悩むことにはならないわけで、でも結婚分野だの子育て分野だのってのはそういうのが言いづらいのかな…とちょっと思ったのでした。