職場のマーライオン

走って(ランニング)、飲んで(お茶ときどき酒)、歌って(合唱)を三本柱にその他日日のことなど

体育嫌いも音楽嫌いも同じ

こういう呟きや、
鐘の音@夏バテ中 on Twitter: "日本の体育の授業って、「運動好きのためだけに設計されてて、運動嫌いはさらに運動が嫌いになるようの作られてる」から、初めてジムに行ってトレーナーさんの指導で運動やったら「運動ってこんなの楽しかったのか」と30代にして初めて開眼した。"
Google検索で
「体育の授業 トラウマ」
にヒットする記事は読み出すと止まらない。なにしろ私もトラウマレベルで体育の授業がダメだったから。(高校まで。大学も体育の授業はあったけど1年生の時だけだし、そもそも高校までの体育の授業が劣等生気味の学生ばかりだったし)

  • 体育の授業さえなければもう一ランク上の高校に行けたはずもちろん入学した高校はとても良かったので結果オーライなんだけど
  • 体育の授業ができる奴ほどヤンキーとの親和性が高い(私の出身中学限定。個人の感想です)
  • 体育できる人及び体育教師は、できない人をバカにするというか人間性否定くらいに攻撃する

など、体育の授業への恨みを話し出すと一晩でも二晩でも話し続ける自身があるほどネタが尽きない。

これって、私が得意としていた音楽の授業でも同じことが言えるのかとふと思いつき、試しにGoogle検索で
「音楽の授業 トラウマ」
と打ってみた。

やはりそれなりにヒットする記事があり、
「音楽のテストで皆の前で歌を歌わされるのが苦痛」
「音楽の技術は教えてくれなかった」
など、嫌な思いするという点では体育の授業と同じことがあったのだなあと。

私は、楽譜は読めるしピアノも弾ける、歌うのも苦にならなかったが、これは全て学校外の「習いごと」といった活動で得た結果、言ってみればプロに教えてもらったお陰ということ。たぶん学校の授業だけでここまでは到達できなかったよなあと思う。あと、音楽でも授業自体はあまり好きではなかったな。(やる気のない人っていたと思うけどそういうのを見るのが嫌だった)
そんな意味では体育にしろ音楽にしろ、学校教育においてこれらの教科を採用して教える以上、適切な指導がされないといけないということだろうね。具体的には、技術を身につけられるようにするとか。おそらく指導要領にはそこが明記されてるだろうし、そのような指導法はあるだろうし実践されている教員の方は多くいらっしゃる…と思いたい

問題だと思うのは、

  • 体育(の授業)ができるのが正義で、出来る人は大きな顔するし、できない人はバカにされても仕方なくて誰も庇ってはくれない。
  • 主要5科目ができる人よりもエライ的な扱いがある(主要5教科ができるだけだと「勉強ばかり出来て人間性は云々」くらいdisられる。)

あたりかと。これらを「音楽」に置き換えられないように、体育ができる方が体制寄りというのか、「不当に」優遇される傾向が問題なのかなと思う。